「私もそこまで悪くない」と思えること

毎日過ごす中で、絶好調の時あれば、絶不調の時もある。

でもなんでそうなるのか、そういうことが起きるのか、

知りたいと思ったことはないだろうか?

私はある。

(人生に一度はあるもんだと思っている)

「ホルモンのせい」なのか

「反抗期のせい」なのか

「あいつのせい」なのか

「私の中に棲む魔物のせい」なのか

「生命の七不思議」なのか

無意識にそんなことに対する答えを求めて

ずんずんと終わりなく逡巡したり

夜、しんとした布団の重みを感じながら天井をじっと見たり

真夜中のせいにしてどこかにその形跡を残したり

何かが暴れだすその時を待ってみたり

どれも悪くないし、その時間を気に入っているなら

きっとそれは何かいいことをもたらしてくれるはず。

 

でも、そんなことを繰り返すことにひどく飽き飽きして

すべてがこの上なく馬鹿みたいに思えて

嫌気がさすどころか

とっぷり沼に沈むみたいにどうにも抗えないところにきたら

そんな呪縛みたな黒い沼を解き放ってもいいと思う。

 

もちろん、こんな表現はまだ生易しくて、

地平線でうねりをあげる竜巻のように

自分の力では押さえつけられないくらい強大な威力を持って

襲い掛かってくる時もある。

そんな時は怖くて凶暴な生き物が去るのを

息を潜めて待つ小さな子供のように

ただひたすら耐えるしかない。

 

明解な答えも知らないし、

有能な呪文も、

それが何某か知る術も持ち合わせていなかった。

 

だから私はほんの出来心ではあったものの、

悪いことにはならんでしょ、と

興味があった人のカウンセリングを受けてみることにした。

 

当日まではなんだか落ち着かない気分だったし、

パンドラの箱をこじ開けられる身構えをしなくちゃとか

怪獣が放たれてしまったときの予防策を張ることに躍起になったりもしていた。

 

だけどそれは実際のところ、

すんなりと受け入れやすいものだった。

私の性質だとか特性とか、そういう話も含めて

ゆるやかにしてもらったことがよかったのかもしれない。

 

堂々と存在してた猛獣も

実はすんごく小さくて、寂しがりなんじゃないかと思えたし

怯えるほどの脅威はないのかも、とか

次に巻き込まれそうな波が来たら

「よーしどーんとこい」

と振り切ってしまえばいいんだとか

至極当たり前のことに気づくきっかけになった。

 

それだけでも価値があったと思えるし、

これ以上自分を嫌悪したくなかったので

他人に肯定するためのヒントをもらえるのはなんだかいいことだと思う。

 

猛獣を飼い慣らすのは

まだ難しいかもしれないけれど、

「それ」が来る前兆に怯えたり、

もっともっと悪いことが起きないように踏ん張ることは

もうないかもしれない。

だって、そういう時は、よく知る誰かに

こっそり打ち明ければいいんだもの。

 

明日から早速、クセにするなんて無理だけど

(そういう人、きっと多いよね)

片足ずつ、そっと水にひたすように

少しずつ、少しずつ、

「ほらね、私ってこんなもんよ」

って見せちゃうぶんには問題ないと思う。

 

そりゃあ、ありのままを受け入れて欲しいし、

傷つきたくないし。

爪先どころかずぶぬれも厭わない、ぐらいの覚悟でいきたいけど。

そんなに激烈な勢いがあればこうなってないわけで。

 

ただそれでは

あなたのことも、私のことも、

誰のことも深くは知らないまんま、

無用に時は過ぎてって、また振り出しに戻るから。

「こんな自分もいるけど、どう?」

くらいの感覚で、

大切な人には見せられるようになりたいなぁ。